ジョン・F・ケネディ「行動にはつねに危険や代償が伴う」 [政治家・指導者]
アメリカの国民に期待され、
現在に至るまで、
アメリカ人有名人のランキングで人気なのは、
アメリカ大統領「ジョン・F・ケネディ」
今でも上位で人気を誇っている。
なぜこんなに信頼されて、現在に至っても人気があるのか?
○生い立ち
1917年5月29日マサチューセッツ州ブルックラインで、
アイルランド系移民実業家の夫婦の間に、
次男としてケネディが誕生します。
ケネディは、生まれつき体が弱い子でした。
生まれつき、背骨に障害を持っており、
生涯背骨の障害に悩まされたといわれています。
大学は、ハーバード大学へ入学。
ケネディは、卒業論文で、
ミュンヘン会談について論文を書きました。
その論文を父親に見せたところ、
素晴らしい内容だったので、
父親自らのスピーチライターに、
何度も文章の内容を練り直させました。
そしてできたのが、
『英国は何故眠ったか』
これのタイトルで出版を行います。
ケネディは、その出版した利益を
ドイツ軍に爆破され被害を受けたプリマス市に寄付をしました。
○艇長として
ケネディは、ハーバード大学を卒業後、
海軍に入隊。
魚雷艇操縦訓練を受けたケネディは、
大日本帝国海軍と対峙していたツラギ島に配属され、
艇長としてパトロール魚雷艇に任務につきました。
ケネディが率いる魚雷艇PT109で巡回中、
日本軍艦「天霧」と遭遇して衝突。
ケネディのPT109は、引き裂かれ、
乗組員は全員海に放り出されました。
ケネディは、必死に怪我をした仲間を連れて、
近くの島まで泳ぎました。
(ケネディは、仲間思いだったのだとわかりますね。)
その島に6日目に、オーストラリア軍兵士により救助されました。
ケネディは、救出後すぐに復帰をするものの、
体調不良の理由で本国に戻り海軍病院に入院。
背中の痛みの治療を行っていたが、
まったく治りませんでした。
また、マラリアに感染していました。
それから、ケネディは海軍を退役することを決めました。
○大統領としての信頼感
ケネディは、退役後、政治活動を行うようになります。
29歳という若さで、下院議員になり、
上院議員選挙では当選し、7年間在職。
それからのケネディは、
アメリカ合衆国大統領選挙にも挑戦し、
対立候補だった、
共和党のリチャード・ニクソンを破り、
43歳という最も若い若さで、第35代アメリカ合衆国大統領に就任しました。
それからのケネディの活動は、
ピッグス湾事件、キューバ危機、ベルリンの壁の建設など
多くの歴史的事件に携わり、
特にキューバ危機は、危機を回避したことで高く評価されました。
しかし、テキサス州ダラスに訪問中に、暗殺されました。
ケネディ大統領暗殺事件は、歴史に残る大事件となりました。
ケネディは、アメリカ国民に期待され、
現在に至るまで信頼を得られていたということが
とてもわかりました。
○名言
今回、ケネディの名言で僕がお気に入りの名言です。
行動にはつねに危険や代償が伴う。 しかしそれは、行動せずに 楽を決めこんだ時の長期的な危険やコストと較べれば、 取るに足らない
新しいことにチャレンジをすることはとても不安があるとおもいます。
バレーボールで例えると、
練習を必死に行うのとサボっているとの差は、
必ずでてきます。
スポーツをしていると、うまくいかなかったり
することで悩んだりすると思います。
でも、それがあるからこそ
少しづつできてくるのではないのでしょうか。
楽にさぼっている人と比べると、
かならず結果はついてくるものだとぼくはおもいますよ。
N.hamada
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