美空ひばり「本当に、人生って、川の流れのようなもの」 [音楽家]
あ〜あ〜川の流れのように〜
おだやかに〜
このみをまかせていたい
この曲を知ってますか?
日本の歌謡界の女王、
「美空ひばり」の
代表作「川の流れのように」という曲になります。
他にも素敵な曲を唄われた美空ひばりは、
どんな人生を送ってこられたのでしょうか?
○生まれ
美空ひばりは、魚屋を営む父親と
父親の仕事をお手伝いする母親の四人兄弟の
長女として生まれます。
ひばりは、家にあるレコードがあり、
両親がよく音楽を流していたため、
音楽の素晴らしさを知ります。
第二次世界大戦に父親が参加するため、
壮行会が行われました。
ひばりは、父親にエールを送る曲を
みんなの前で唄いました。
すると、ひばりの曲に感銘して、
涙ぐむ人もいました。
ひばりの母親は、
ひばりの歌唱力に驚き、
人を惹きつける可能性を見だして、
横浜でひばりの歌による応援活動を行いました。
○現実の厳しさ
ひばりは、9歳にてNHK『素人のど自慢』に出場します。
歌唱力は抜群のはずのひばりだったが、
鐘は、1個もなりませんでした。
審査員の答えは、
「子供らしくない」
「非教育的だ」
「子供なのに真っ赤なドレスっておかしい」
など厳しい言葉ばかり並べられました。
そして、のど自慢は、不合格して終わりました。
○才能
ひばりは、舞台も行っており、
無名の存在でして、
11歳のひばりは、
才能を見込んだ、
当時では人気であった、
ボードビリアン川田に
横浜国際劇場に抜擢されます。
ひばりは、川田からかなりの影響を受けるようになり、
川田からたくさんのことを学び、
師匠として認めます。
そして、横浜国際劇場の支配人福島が
その才能をかなり認めて、今後マネージャーとして、
舞台を取ってきたり、映画を次々と企画して成功するようになります。
美空ひばりの名前の親は、横浜国際劇場で共演になった、
宝塚 岡田が「美空ひばり」と命名して、名付けの親となります。
それからのひばりは、
CDデビューを行い、映画出演をするまで
「美空ひばり」という名を全国に広めることができました。
それからのひばりは、
歌手活動・女優活動を母親ともに二人三脚でやり続けてきました。
そして、ひばりは、50歳にして、病と戦うようになります。
しかし、
ひばりの歌を待っているお客さんのために、
病と戦いながらも歌手活動を行います。
ひばりは、ステージでは平然として唄うが、
舞台裏では、階段を降りることも上がることも
できなかったといわれてます。
常に、医師がついてのライブ活動を行ったそうです。
僕は、精神の瀬戸際のなかでも
そこまでやってる彼女を僕はとても尊敬します。
歌を通して、お客さんの歌い続けた彼女は、
本物の歌手だと思います。
○名言
本当に、人生って、川の流れのようなものよね。 まっすぐだったり、曲がりくねっていたり、 幅が広かったり、狭かったり、 流れが速かったり、遅かったり…
今回ぼくが選んだ「美空ひばり」の名言です。
こちらも「川の流れように」の曲ですが、
まさしく、人生を川に例えて伝わってきます。
例えば、歌手を目指している人がいます。
しかし、まっすぐ目指すがもしかしたら、
つい遠回りしてしまって曲がり道をいってしまいます。
たくさん活動行えば何か希望ができ、幅は広がりますが、
まったく活動しなければ、幅は狭いままで諦めてしまうかもしれません。
人気がでてきたら、流れが早く感じて楽しいですが、
人気がなく曲も作れない状態だったら、楽しくないですし、
流れが遅く感じてしまいます。
(あくまでも僕が考えた例なので気になさらずに)
美空ひばりもきっと、うまくいかず、
音楽活動をたくさん行い、遠回りもしたこともあると思います。
しかし、美空ひばりとっては、素晴らしい楽しい人生を送られたと思います。
N.hamada
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