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マーガレット・サッチャー「子供への最良のアドバイスは、本人のやりたいことを見抜いて、そうするように促すことですね。」 [政治家・指導者]

「鉄の女」と呼ばれた女性はご存知でしょうか。

彼女の名は、「マーガレット・サッチャー」

彼女は、1979年にイギリス初の女性首相となった人です。

彼女は、なぜ首相になることを決めたのか。
どうして「鉄の女」と呼ばれるようになったのか。


C778_rtsaretaakarenga500.jpg・マーガレット・サッチャー
1952年10月13日、リンカンシャー州グランサム出身。
食料雑貨商の家系に生まれます。
父は、市長を務めた経験をもっていました。

父の教訓は、
「質素倹約」
「自己責任・自助努力」
の精神を叩き込まれました。

※「質素倹約」とは・・・
贅沢でなく、無駄遣いをしないこと。

※「自助努力」とは・・・
他に留まらず、困難なことがあれば
自分の力だけで乗り越える努力。

サッチャーは、父の教訓を素直に受け止め、
とても父を尊敬していました。

大学は、オックスフォード大学で化学について学びます。
その学びを卒業後、研究者の道に進むことを決めます。

ライオンズ社に就職をして、
コロイド専門として毎日研究をします。

※コロイド・・・
粒子のことで、身の回りには、たくさんのいろんな粒子があります。
例えば、小麦粉や片栗粉など粉上のものは粒子です。

1950年には、保守党から下院議員に当選するが
落選してしまいます。

しかし、彼女は、「女権拡張」を訴え続けていきたい
意思が強かったそうです。

1951年には、法律の勉強を始め、
1953年には、弁護士資格を取得することになります。
1974年には、保守党党首となり、「ヘルシンキ宣言」を批判。
これに対して、ソビエト連邦の国防省機関紙から「鉄の女」と名ずけられる。

彼女は、「鉄の女」という何かなり気に入ったそうです。

1979年には、初当選を果たすことになります。

当時の首相からサッチャーに与えられた仕事は、
教育科学相を勤めることになります。
彼女は、教育関係の予算をなんとか下げるため
いろんな工夫やアイデアを出しました。
その結果、牛乳の無償配給を廃止することに決めましたが、
周りか「ミルク泥棒」といわれ、抗議にもなりました。

1979年には、女性初のイギリス首相となります。
そして、いろんなことを行っていきました。

・小さな政府を公約
・経済立て直しのため政府の市場への介入を抑える政策
・フォークランド紛争でフォークランド奪還
・サッチャリズム
→国有企業の民営化や規制暖和
 所得税・法人税の大幅な税率の引き下げ
 消費税の引き上げ(8%から15%へ)
 教育法を改定
など

サッチャーは、87歳にて脳卒中のため亡くなりました。
サッチャーは、戦後の世界でもっとも強い影響力をもったリーダーの一人だと思います。
もし、サッチャーみたいな人が現れた時、
国は救われ続けるかもしれないですね。
それには、なににも動じない「鉄の女」として。


○名言

子供への最良のアドバイスは、
本人のやりたいことを見抜いて、
そうするように促すことですね。

子育てをしていると、
いい子に育ててあげないといけないっていうのが
なんとなくありますよね。
僕の母もよくいい子に育てようと
塾や習い事などよくいかされました。

でも、正直言うと僕は、やりたい!!
ってことはありませんでした。
母は、僕のためにと思ってお金を出してまで
通わせてくれたんですけどね。

実は、僕、以外に人見知りで自分から積極性もない人でした。

でも、もし、こんなものもあるんだっていう
情報があればもしかしたら
「これやってみたい!」
ものがあったかもしれないですね。

もし、子どもちゃんがいらっしゃる方は、
ぜひ、いろんなものを見せてあげたらいいと思います。
その中から、子どもちゃんが目がキラキラしていたら
やらしてあげたらいいと思います。

その方が、本人にとってやりがいがありますね!

N.H



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